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社会科学研究所所蔵『糸井文庫』について

社会科学研究所所蔵『糸井文庫』について加瀬和俊

1.『糸井文庫』とは

 社会科学研究所が所蔵している貴重なコレクション類の一つに、戦前日本の職業紹介行政を中心とした『糸井文庫』がある。このコレクションは1920年から太平洋戦争期まで一貫して職業紹介行政に関与した糸井謹治氏の旧蔵文庫であり、研究所地下の移動式の大型スチール書架の33棚を占有している。

 このコレクションについては社会科学研究所図書室が編纂した『糸井文庫資料目録』(1984年3月)がすでに刊行されている。また1955年に研究所が糸井氏の御遺族から文庫類を一括して譲り受けた際に仲介の労を採られた安田辰馬氏の手になる解説文も残されている。(①安田辰馬「糸井謹治先生とその業績」雇用促進事業団職業研究所『職研』1972年春号、所収。②同「東京大学社会科学研究所所蔵『糸井文庫資料目録』とその背景」財団法人日本職業協会『清流』64号、1984年10月、所収録)

 戦前の職業紹介行政関係者の中には自らが関わっている仕事に対する愛着・責任感から関係資料類を収集・保存する者が多かったといわれており、資料収集家として知られていた何人かの所蔵資料の行方については安田辰馬氏の上記の文章に詳しい。ただし数年前に筆者が安田辰馬氏からお話をうかがったところでは、各家庭の代替わりや戦災や家屋の建て替えを経た現在では、こうしたたぐいの文書資料類で個人で所蔵されているものはもはや存在しないだろうとのことであった。



↑写真① 糸井文庫は社研図書室によって慎重に分類・製本された。

2.糸井謹治氏(1895-1959年)の経歴

 『糸井文庫』は糸井謹治氏が自ら関与した職業紹介行政の中で収集したものであるから、まず氏の略歴を確認しておきたい。氏は1895年1月に京都府与謝郡岩滝村の旧家に生まれ、農芸化学を学んだ後、1920年に財団法人・協調会(1919年12月創立)に就職している。時あたかも日本の職業紹介行政の発足期にあたり、創立直後の協調会は内務省の意向を受けて1920年6月にその内部に「中央職業紹介所」を設けて職業紹介所間の連絡や職業行政関係情報の収集の任に当たり、職業紹介法(1921年制定・施行)の施行に際してこれが職業紹介行政の連絡・指導・情報収集機関として「中央職業紹介局」に改組されている。糸井氏は1920年のこの係の発足時に担当職員として採用され、職業紹介所の設置奨励、職業紹介業務に関わる諸統計のとりまとめ、機関誌『職業紹介時報』の編集・発行等を担当することからその職業生活を開始している。

 この中央職業紹介局は1923年4月に協調会から分離して内務省「職業紹介事務局」へ移行したが、これにともなって氏も内務省属となっている。以後、1929年11月に名古屋地方職業紹介事務局長、1934年7月に東京地方職業紹介事務局長を経て、1936年からは地方の職業紹介行政の責任者に転じている。すなわち、1936年9月からは東京府職業課の初代の課長となり、1938年7月には東京職業紹介所長になっている。戦時期には職業紹介事業の目的がそれまでの求職者への就業機会の提供から国家目的に沿った労務動員へと変更され警察行政の一環に組み込まれたことに対応して、1942年11月には警視庁職業課長となり、1943年12月に退官して労務動員を担う民間団体に転じている。

 『糸井文庫』は以上のような氏の経歴と照応して、1920-1930年代の職業紹介行政に関わる行政機構の内部資料に関する一大コレクションとなっているのである。

3.『糸井文庫』の構成

 『糸井文庫』の構成は『糸井文庫資料目録』に詳しいが、全体は「資料篇」、「図書篇」、「雑誌編」に区分されている。

1)「資料篇」
 職業行政機構の内部で作成され、他に存在しない一次資料として最も貴重なものが「資料篇」所収の資料類であり、目録157頁のうちの127頁を占めている。資料受け入れ後に図書室職員の手によって詳細に分類され、項目ごと・年代ごとに綴られた259冊の簿冊として整理されている。簿冊ごとの文書件名も1件ごとに頁数入りで記載されているので、目録を一瞥すれば「資料篇」の全体の構成と特徴を理解することができる。このうちいくつかの興味深い資料類を紹介してみよう。

a:内務省、社会局の各種の会合関係
 中央の職業紹介行政担当部局の主要な役割は、府県の職業行政担当者ないし個々の職業紹介所関係者に対して職業紹介事業において採るべき方策について指示し、現実に生じている困難な問題を把握してその解決方向を提示することであった。このため、社会局は毎年頻繁に各種の会合を開催しているが、そうした諸会合に際して送られた通知類や、会合の場で配布されたと見られるガリ版刷りの文書類等が資料の大きな部分を占めている。これらの文書から私達は、『労働行政史』などで把握されている職業行政史の日常的・具体的な流れを知ることができる。

b:職業紹介所の経費・職員異動・職業紹介手法等の情報収集
 職業紹介所は1938年までは市町村が設立し経費を負担していたので、職業紹介事業の必要性があっても財政力のない市町村は事業を実施できなかったし、市町村間の求人・求職の連絡調整も容易でなかった。このため社会局の職業紹介行政の大きな仕事は、紹介所の経費の把握と国庫補助金の交付、あるいは職業紹介方法についての情報の収集と他の紹介所への情報提供といったものであった。こうした業務内容を反映して、職業紹介所の経費・国庫補助額・職員異動といった紹介所経営の実情や職業紹介方法の具体的事情にかかわる資料が各簿冊の中に多数存在している。

c:職業紹介行政の宣伝活動
 縁故によって就職が決まることが通常であった戦前期においては、広く知られていた有料の営利職業紹介業者とは別に、無料の公益職業紹介所があること、そこでの職業紹介の内容は一般職業紹介のほかに日雇・少年・俸給生活者等の専門部があり実情に応じた紹介が行われること等を求職者・求人者双方に宣伝しなければならなかった。この関係で作成されたパンフレット類やラジオ放送の台本などが多数存在している。

d:日雇労働紹介・失業救済事業関係
 昭和恐慌前後の時期に職業紹介事業の中で大きな比重を占めた失業者への日雇労働紹介の実情や、官公庁が失業者に就労機会を提供することを目的として実施した失業救済事業に関わる諸情報などが含まれている。

e:各種の労働事情調査報告等
 中央および地方で実施した労働事情調査のうち印刷・配布されたものは「図書篇」の中に収録されているが、ガリ刷りのもの、公表を予定しないもの等は「資料篇」に含まれている。また各職業紹介所内部での「日報」類、職業紹介事務局への「月報」報告等も残されており、紹介所職員の事務内容を含めて紹介所運営の日常的な流れが具体的に把握できる。

f:職業統計関係
 全国の職業紹介所は月々の職業紹介の実績を各地方職業紹介事務局に報告することを義務付けられていたが、中央職業紹介事務局ではそれを集計して「月報」として公表しており、この種の業務統計の作成過程に関わる資料類がかなり存在している。また、1920年、1930年、1940年の3回の国勢調査では「職業」分類にそって有業者の人数が調査されているが、これに関連して国勢調査の職業分類や職業紹介所の業務統計における職業区分について職業紹介所、地方職業紹介事務局等の各機関がそれぞれの立場から改訂案を提出して意見を戦わせている様子を示す資料類もあり、『総理府統計局百年史資料集成』を補完するものといえる。




↑写真② 職業紹介関係の雑誌類




↑写真③ 求職者・求人者と紹介所との連絡用葉書など
2)「図書篇」
 ここには各府県が刊行していた社会事業・職業紹介事業関係の調査報告書・パンフレット類・法令規則集等が含まれており、職業紹介行政にたずさわる職員達が日常業務の遂行のためにどのような手引書を参照したのかを垣間見ることができる。また、社会問題に関する内外の著作もあり当時の内務省・社会局関係者の読書傾向をうかがうことができる。
3)「雑誌篇」
 ここには糸井氏の専門であった職業行政関係を中心に社会事業・社会運動・青少年教育などに関わる逐次刊行物125種類が収集されている。特に職業紹介関係の主要な年報・月報・雑誌類については欠本がほとんど見られず、収蔵書の散逸を許さない徹底した蔵書姿勢に感心させられる。職業行政関係の基本書というべき『職業紹介年報』、『職業紹介時報』『職業紹介公報』、『職業紹介』、『職業時報』等の内務省・社会局本体、あるいはその関係団体や地方自治体の刊行物はもちろん、文部省系統の『職業指導』等、他の省庁や民間団体の逐次刊行物も少なくない。職業紹介行政関係の逐次刊行物のうちで復刻されたものは、『職業紹介年報』と『職業紹介公報』に限られているので、『糸井文庫』の雑誌篇は依然として貴重な存在である。
4.行政史関係の個人コレクションの意義と限界

 行政の具体的な推移や行政機関の時々の判断を支えた各種の実態調査類等については本来は行政機関自体がその内部資料を保管・整理・公開することが望まれる。しかしアルヒーフ体系の整備されている資料先進諸国とは異なって日本ではこの点が全く遅れており、労働史・労働行政史関係の主要な資料類についても事実上、外郭団体の協調会や、個人の蔵書としてしか残っていない。

 しかも現在日々作成される行政資料については事態は一層悪化している。行政文書の保存の適否を保存機関=文書館側が決定するのではなく、文書を作成した部局側が決定するという情報後進国型の「情報公開法」の下では、大半の行政文書が保存期間終了と同時に廃棄され、文書作成部局の責任問題に関わらないような当たり障りのない資料だけが公開される傾向にある。このため、「不良債権処理」の行政的プロセス、リストラ・失業対策の諸施策の立案・実施過程といった現在の行政諸施策について後年歴史的分析がなされるに際して、日本についてだけは新聞報道以上のオリジナルな資料にもとづく研究は不可能になるであろうといわれている。

 戦前の職業紹介行政の第一級資料である『糸井文庫』も、個人が経験できる職業領域の限界性によって職業紹介行政の全体像を明らかにするものではない。たとえば糸井氏が地方の職業紹介行政の責任者に転じてからは、個々の職業紹介所の具体的な動きを伝える資料が増加する反面で、社会局等の政府中央の動きを伝える資料は減少し、その内容も公開資料に限定される傾向がうかがえる。その意味で『糸井文庫』は個人収集文献の偉大さとその限界について考えるための貴重な資料でもあり、今日の行政資料を次の世代にどのように残すべきかについての重要な証言者であるとも言えるように思われる。




↑写真④ 各紹介所が発行したビラ、パンフレット類

(「図書館の窓」2002年6月号掲載)

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